かぶら・ぶらぶら街道周辺の特産品や話題等を「地域レポート」として不定期に紹介しています。
7月28日(土)から29日(日)にかけて、関東地方に接近した台風12号。東から西へ進む異例の進路を辿り、雨や風の強まる場所などが通常と異なり、これまでの経験が通用しない可能性があると報道されていたこの台風。幸いにも群馬県には大きな被害をもたらすことなく通り過ぎてくれた。
ひと安心した29日の午後、南牧村星尾の大上(おおがみ)地区にある、南牧三名瀑の一つであり県指定天然記念物及び名勝である「線ヶ滝」を目指し「冒険旅行」に出発。台風直後の水量を増した滝の雄姿やいかに。
(取材日:平成30年7月29日)
ぐんま絹遺産「星尾風穴」 の案内板
線ヶ滝を目指し車を走らせ大上地区に入ると、「星尾風穴」という青い文字の看板を発見。そのすぐ先には「ぐんま絹遺産 星尾風穴 130m」と書かれた案内標示板が石にはめ込まれていた。
最近設置されたのか、看板も標示板も、まだ新しかった。
星尾風穴に到着
南牧村にも「風穴」があったのか‼ 早く見たいとはやる心で、細い山道を急ぐ。傾斜は緩く、山道を歩き始めて5~6分で風穴に到着。
風穴の前の平地には説明用の立て看板も。石垣の先はどうなってるの?
石垣の先は、背丈ほどの高さの穴に
立て看板の脇を上り、右上から風穴の中を撮影。(石垣内に入ることは禁止)
「荒船風穴」のように「冷風」を感じられるのか? しばらくの間、触覚を研ぎ澄ませていたが、感じるのは、丁寧に積まれた石たちが発する往時のかすかな鼓動だけだった。
風穴について説明する立て看板
(立て看板の記載内容)
『南牧村指定史跡 星尾風穴指定 平成27年7月28日
所在 南牧村大字星尾字桧木宮430番1
星尾風穴は、1905年(明治38年)1月に富岡甘楽地域の8人が出資した合資会社組織として創業し、営業を開始しました。
風穴の利用によってそれまで春のみだった養蚕が、年複数回できるようになり、村の養蚕に大きな変革をもたらしました。
昭和に入って蚕種の貯蔵所としての役目を終えたあとは、地元の青年団が経営する天然氷の貯蔵所として使われました。
平成28年3月 南牧村教育委員会』
ぐんま絹遺産「星尾風穴」のページ(リンク)
風穴の案内表示付近に建つ「諏訪神社」
「星尾風穴」の上り口の反対側に建つ「諏訪神社」。鳥居の後ろに立っている柱は「御柱(おんばしら)」。
長野県諏訪大社の「御柱祭」はあまりにも有名だが、実はここ南牧村の諏訪神社でも、6年おきの「寅」と「申」の年に「御柱祭」が開催され、柱が立て替えられる。300年を超える歴史がある。
写真の「御柱」は平成28年4月17日に立て替えられた51本目の柱である。
力強い立ち姿で風穴と神社を見守ってくれている「立岩」
「立岩」は「上州のドロミテ」ともいわれる岩壁の山。山頂からは、目の前に荒船の行塚山や浅間山、遠く八ヶ岳が望め、5月下旬には純白のアオダモの花で埋まり、岩肌にはヤマフジが咲く。(南牧村HPより)
【水しぶきをあげて流れ落ちる「線ヶ滝」】
落差35mを白い一条の白線を描くように落下する滝と形容されている線ヶ滝。
この日の線ヶ滝は、台風がもたらした雨の影響で、水しぶきをあげて力強く流れ落ち、滝壺からは水煙が舞い立っていた。
台風後の明るい日差しが、その姿をさらに際立たせていた。
線ヶ滝は、別名「仙ヶ滝」ともいい、当地の絶世の美人「お仙」が入水するという悲しい伝説もある滝である。
今日の滝もよいが、いつもの繊細な滝のほうが伝説には似合いそうだ。水は、しぶきになり、ここから落ちている。
この上はどうなっているのだろう。
この変哲のない流れが「滝」に変わる。
いつもは、一条の白線のように。
今日は、乾ききった山の草木を蘇らせる命の雄叫びをともなって。